【人肉レシピ現地取材・閲覧注意】生贄は宗教か、食欲か? アステカ帝国・禁断の人肉食文化を徹底取材!
世の食通たちですら手を出さない禁断の食材、それが人肉。文化人類学を学び、人肉食の軌跡を求めて世界中を回った筆者が、その禁忌を歴史や文化面から紐解く。
アステカ帝国と人肉食文化は実はそれほど古い時代のものではない
その昔、中米メキシコで隆盛を極めたというアステカ文明。歴史に名をはせる文明のひとつだが、こと食文化を紐解くと、現代人が驚く資料も沢山出てくる。なんと、アステカ文明には日常的に人間を生贄に捧げる儀式が行われていたというのだ。さらにはその犠牲になった人間の肉を食べる文化が存在した。下記「アステカ人の人肉食の風景」という饗応をご覧いただきたい。一心不乱彼らがほおばっているのは、人の肉だ。
歴史好きならご存じだと思うが、後にアステカ帝国は、アメリカ大陸に侵攻したスペイン軍に滅ぼされた。それまでに食材として食卓にのぼってしまったスペイン人の数も図り知れないのだろう…。
制圧の結果、人肉食文化も彼らによって滅ぼされ姿を消すことになり、アメリカ大陸における人肉食のルーツをたどる資料というのも一旦そこまでだ。まずは、ロマンあふれるアステカ帝国の食人文化を、歴史的及び文化的側面から紐解いてみよう。
1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ諸国はこぞってこの大陸を目指した。この時代というのは、スペインはヨーロッパにいたイスラム軍を駆逐し、日本では応仁の乱が終わったくらいの頃で、文明は十分に発達していた。
アステカ帝国は古代文明として語られがちだが、実は1428年から1521年のわずか200年ほどの間だけ栄えた、割と最近の文明である。
彼らは独自の宗教を信仰しており「太陽は創造しなければ昇ってこない。創造するためには人間の血肉を捧げる必要がある」というもので、定期的に人間を生贄として捧げ、そしてそれを食していた。キリスト教や文明科学が発展したヨーロッパの人間から見るとアステカのその文化は野蛮と写り、征服し教育する必要がある対象として見られることとなった。
アステカの宗教と生贄、そして食欲
アステカの宗教は多神教で、それぞれ月ごとに担当の神様がおり、その神様にちなんだ方法で毎月何人か奴隷が捧げられていた。以下はその一例であるが、祭りは農耕の神に対する捧げ物の意味合いがあり、この月イチペースのお祭りで何人もの奴隷が殺されていたという。
いくつかそのお祭りを紹介しよう。
・シペ・トテックという植物の再生を司る神様のお祭り
この祭りでは、生贄の皮を剥ぎ、神官は約1ヶ月ほどこの皮をかぶって生活する。腐った皮を脱ぎ捨てるところが、再生を表すと言われる。また別の生贄数人は祭壇(ピラミッドと考えられる)を上り、その上にある石の上に寝かされて四肢を抑えられ、生きたまま胸をナイフで裂かれて心臓を取り出され、太陽にかざす。死体は祭壇から転げ落とされる。肉はもちろん解体されて食べられる。
・神の中の神、テスカトリポカのお祭り
この祭りでは、一年前に選ばれた非の打ちどころのない若者はテスカトリポカの化身として扱われ、祭りまでの1年間最高の教育と快楽が与えられる。20日前には神話に擬えて女性を与えられる。生贄になる日には自ら祭壇を上り、四肢を抑えられて心臓を取り出された。
・火の神シウテクトリのお祭り
この祭りでは、奴隷数人の顔に薬草の粉を塗って死の恐怖を感じないようにして、一人ずつ生きたまま火の中に投げ入れる。焼かれながらもまだ生きている奴隷をチョイス、生焼けのまま火から引きずり出して、四肢を抑えて心臓を取り出す。
これらの時節ごとの祭り以外にも、天変地異の時の生贄や、神殿の完成を祝う生贄など、何かとたくさん人を殺していたことが記録されている。特にテンプロ・マヨールという神殿の落成時には4日間で8万4千人の生贄が捧げられた、と記録に残っているのだ。(出典:「アステカの人身供儀に関する一試論」佐藤孝裕)
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